『神様のカルテ』(監督:深川栄洋)
漱石曰く、「とかくに人の世は住みにくい」。わかっていてもどうにもならない。そんな中で悶々と暮らしながら、せめてもの救いを求めたがるのが人間でしょう?
建前と本音、理想と現実のはざまで、それらにどう折り合いをつけるべきか思い悩みながら、それが生きているってことだと自分で自分を納得させようとする。「何のために生きているのか」なんてことを問うのはナンセンスだけど、それを問わずにはいられないのは、そうしないと前に進めないからなのだと思う。
原作者であり現役青年医師でもある夏川草介さんは、たぶんこの物語に医者としてのみずからの理想や願望を託したのではないでしょうか。おそらく現実の医療現場では満たされることのない理想や願望を。
毎晩家に帰ることも、十分な睡眠や休養をとることもままならない現場の最前線で心が折れそうになりながらも、それでも患者と共にありたいと願う主人公、栗原一止(櫻井 翔)の純粋さ、正義感は夏川さん自身の投影なのかも。繰り広げられる患者との心温まるエピソードは夏川さんや一止にとってのささやかな「勲章」であり「救い」なのでしょう。
それがあるから頑張れる。特に頼られる側はそのことが生き甲斐ややり甲斐につながったりします。「与えて」いるつもりが、実は「与えられて」いることに気づくなんてこともままあります。そのこと自体は悪いことじゃない。
でもね、相手に「救い」を求めすぎると互いに苦しくなるものです。切り捨てなければならないものも多くなってきます。末期ガンの患者、安曇さん(加賀まりこ)に対して献身的に関わる一止や病院の医療スタッフは、一方で多くのものを犠牲にしているはずです。
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金曜日の深夜に放映されていた「NEWS ZERO特別版」で、主演の櫻井 翔くんと原作者の夏川草介先生との対談の様子を観ました。櫻井くんがそこで注目していたのは、劇中の一止のセリフ、「悲しむのは苦手だ」という言葉の意味についてでした。
彼の問いに「実際に医療に携わっている者として、患者への思い入れが強すぎてもいけないし、弱すぎてももちろんいけない。患者の死をいつまでも悲しみ嘆く時間は許されておらず、すぐに新たな患者がやってくるのだから。この仕事を続けていくうえで悲しむことと悲しむのをやめることのバランスがとても難しいんだ」といった趣旨で夏川先生は答えていました。
であるなら、このセリフは物語のメインテーマを端的に表す名文句だと言えるでしょう。
一止はみずからの健康、ハル(宮﨑あおい)との夫婦で過ごす時間、信濃大学の医局への異動と医師としての栄達。。。実にさまざまなものを犠牲にして安曇さんを看取ろうとします。確かに美談ではありますが、実際の医療現場にそれを求めるのは酷です。
だからこの映画『神様のカルテ』はファンタジー、架空の病院のお話ということでいいんです。
間違ってもこの映画を観た医療スタッフが、本庄病院のような医療現場を創りあげなければいけないと、青臭い正義感に燃えたり、更なる自己犠牲の精神に燃えたりなんてことをしてほしくない。患者のわがままに際限なく応えようとするのは止めましょうよ。それに、医師不足や救急医療体制の不備を放置してきたのは政府とりわけ厚生労働省の責任ですから。
映画が終わり、劇場から出てくる人混みの中で、十代の女の子らしき声が聞こえてきた。「思ったほど泣けなかったね」と。友人に感想を語っていたのだろう。やはりこの映画は櫻井くんやあおいちゃんが泣かせてくれることを期待して観に来る人が多いんでしょうね。
でも、まだ実社会で辛酸をなめた経験がなく、看取る者のない老人の孤独を知るよしもなく、いつ帰るとも知れない最愛の夫(妻)を一人待ちわびる経験をしたことのない若者達にこの映画の本当の泣き所は理解できないのかもしれない。大人になると、切り捨てなければならないものについて考えなきゃ生きていけなくなる。。。そのうち君たちにもわかるだろう。
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泣き虫ドクトルがいつしか泣かなくなった。でも、それは涙を流さなくなっただけであって、心の中ではいまでも泣き続けている。そんなことを窺わせる場面に特に共感しました。ゆえに涙がこぼれました。実社会では泣きたくなることが山ほどありますから。ボクにとって、この物語が好きな理由はそこなんだなと映画を観ていて気づきました。そう、やはりボクもスクリーンの中の一止に自分を投影させて観ていたのでしょう。現実ではあり得ないファンタジーの中の一止に。
みなさんはこの映画をどんなふうに鑑賞するのでしょう。
映像としての魅力に少し触れるならば、ボクが遊び場にしている松本という街の景観や、その周囲に広がる自然を美しく魅力的に撮ってくれていたのが嬉しかったです。でも、物語の舞台のひとつにもなっている「十兵衛」には、これで行きづらくなってしまったなぁ。あんな心安らぐ魅力的な居酒屋には誰だって行きたくなるでしょう。
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コメント
この世にないことをこの世で話せば、嘘になる。つまり、非現実の内容は、現実の中の嘘である。
現実はこの世の内容であり、理想はあの世 (非現実) の内容である。あの世のことは、この世にはない。
建て前と本音は、全部この世の内容である。
非現実 (理想) を現実化 (実現) すれば、それは創造である。
現実を他所で再現すれば、それは模倣である。
日本語には時制がなく、日本人の考えには非現実 (過去と未来) がない。
非現実を現実化するには、それ相当の現実対応策が必要である。
問題解決の能力により、現実対応策は作られる。
現実対応策ばかりを求めていると、賽の河原の石積みのようなものか、復旧工事の繰り返しにしかならない。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
投稿: noga | 2011年9月 3日 (土) 13時51分
「日本語には時制がない」とおっしゃるあなたの主張の根拠がどうにもボクには理解できません。
それに、「今の日本人には問題解決の能力がなく、ゆえに将来的にも理想を現実のものにすることができない。」とでもおっしゃりたいのでしょうが、本当でしょうか?
投稿: ゴマ | 2011年9月 4日 (日) 23時52分
東京の某居酒屋スタッフさんからお聞きしたところでは、やはり観に行く人は圧倒的に櫻井くんファンが多い(と言うか、それ以外のお客様から話題にならない)とのことでした(^^;)
信州では地元としての話題性が高いんですけどね~
> 物語の舞台のひとつにもなっている「十兵衛」には、これで行きづらくなってしまったなぁ。あんな心安らぐ魅力的な居酒屋には誰だって行きたくなるでしょう。
店主さん曰く、実際には今のところ大きな変化はないそうで、そう誤解してこれまで来てくれていたお客様の足が遠のくとしたら、風評被害だ、とボヤいておられましたよ(苦笑)
投稿: kuni@92の扉 | 2011年9月15日 (木) 13時59分
櫻井くんはなかなかの好演だったと思います。でも、役柄とはいえ、特段ピリッとしたところもなく、気弱でうだつのあがらない櫻井くんを観ていて嬉しいんでしょうかねぇ、ファンは。好きなら何でもいいの・・・か。まぁ、そんなもんかも。(苦笑)
>店主さん曰く、実際には今のところ大きな変化はないそうで、そう誤解してこれまで来てくれていたお客様の足が遠のくとしたら、風評被害だ、とボヤいておられましたよ(苦笑)
そうでしたか。ボクらは常連でもないし、その割には行こうと思えばいつでも行ける人間なので、しばらくは遠慮したほうがいいかななんて思ってました。お店に迷惑でなければ近々伺います。
それにしても、ここも風評被害・・・ですか。映画との距離感というか、マスコミとの間合いというか、商売やってる方はいろいろ難しいんでしょうね。
投稿: ゴマ | 2011年9月15日 (木) 22時47分